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■獣害史上最大の惨劇「三毛別の羆(ひぐま)事件」

●事件の概要
 苫前町は、明治20年代の後半になると原野の開拓が始まりました。未開の原野への入植は続きましたが、掘っ建て小屋に住み、粗末な衣類を身につけ空腹に耐えながら原始林に挑み、マサカリで伐木しひとくわひとくわ開墾したのでした。大正初期、町内三毛別の通称六線沢(現・三渓)で貧しい生活に耐えながら、原野を切り開いて痩(や)せた土地に耕作をしていた15戸の家族にその不運は起きたのでした。大正4年12月9・10日の両日、380sの巨大な羆が現われたのです。冬眠を逸した「穴持たず」と呼ばれるこの羆は、空腹にまかせて次々と人家を襲い臨月の女性と子供を喰い殺したのでした。
 その夜、この部落で犠牲者を弔うため人々
が集まり通夜が執り行われていた民家に、再びこの羆が現れ、通夜は一転して悲鳴と怒号の渦と化しました。人々は逃げて奇跡的に助かりましたが、食欲が満たされず益々興奮した羆は、再び近くの人家を襲い、9人の内5人を喰い殺したのでした。
 
この事件の犠牲者は10人の婦女子が殺傷(7人が殺され、3人が重傷)される、獣害史上最大の惨劇となったのです。恐怖のどん底に落とされたこの部落に、熊撃ち名人として名高い老マタギ山本兵吉が鬼鹿から駆けつけ、12月14日この羆を射殺したのでした。その時突然空には一面の暗雲がたちこめ激しい吹雪となり、木々が次々となぎ倒されました。
 
この天候の変わり様に人々は「クマ嵐だ!。クマを仕留めた後には強い風が吹き荒れるぞ!」と叫んだのでした。

●事件の記録探究に取り組んだ木村盛武氏
 本事件の記録探究は、昭和36年から40年に至る4年間、古丹別営林署に経営課長として勤務していた木村盛武氏(現、ノンフィクション作家:札幌市在住)によって解明されました。この事件発生後45年以上経過し、郷土史などに残された記録もなく調査は、事件の当事者や当時関係者から話を聞いた人々の証言によって、真相を追求する他に方法は考えられなかったのです。
  
しかし、当時の事件関係者のほとんどが、物故あるいは離散し、また凄惨(せいさん)な事件であったことから言葉を閉ざす者も多く調査は多難を極めたといわれています。
  
なお、この調査報告書は1980年(昭和55年)に「のぼりべつクマ牧場」から「獣害史上最大の惨劇―苫前羆事件―」のタイトルで発行され複製印刷されたものが苫前町郷土資料館で販売されています。

    熊害慰霊碑と熊撃ち名人・大川春義氏事件当時、7歳であった大川春義少年の家は「熊狩本部」となりました。
この凄惨(せいさん)な事件を肌身で感じた大川少年は、犠牲になった10名の殺傷者の一人に対し10頭の羆を退治することで犠牲者の霊を慰めようと誓いハンターとなりました。
  
そして、大川氏は昭和52年7月に100頭目の羆を仕留めたのを期に三渓神社境内に熊害慰霊碑を建立したのでした。また、大川氏は北海道西海岸切っての名ハンターと称されました。
 昭和60年12月9日、被災後70回忌の法要を苫前町をはじめ関係機関団体の主催で三渓神社熊害慰霊碑の前で執り行われ「くま獅子舞」を奉納後に、三渓小学校体育館に会場を移し、木村盛武氏の講演に引き続き、大川氏から名ハンターとしての講演がはじまった数分後に壇上で大川氏が突然倒れ帰らぬ人となったのです。それにしても、この場で逝ったのも何かの因縁を感じずにはいられません。このときの様子は、NHKテレビが取材に訪れており、ご遺族のご了解を得てこの日の夕方のニュース番組で放映されました。
また大川氏のハンターとしての人生を吉村昭氏(ノンフィクション作家)が短編小説「銃を置く」で発表されました。(郷土資料館に展示されています。)
心からご冥福をお祈りします。  
合 掌


●射止橋(うちどめ橋)
この事件の羆が討伐隊によって、手負いとなった場所の上手の川に射殺を記念し後年、この川に架かる橋を「射止橋」と命名されました。

●苫前町無形文化財「苫前くま獅子舞」
開拓の悲話を通して不屈の開拓精神と先人の偉業を永く後世に伝えようと…町民の強い熱意が郷土芸能「苫前くま獅子舞」の創作となりました。
  苫前町くま獅子保存会は1973年(昭和48年2月)に結成され、全て会員の創意工夫により創作されたものであり、北海道内にある他の郷土芸能はその多くが本州からの開拓民によって伝えられたものであるのに対し、道内でも北海道生粋の郷土芸能として高く評価されています。
 このことから、昭和57年3月1日に苫前町文化財保護条例に基づく「苫前町無形文化財」第1号に指定されています。
また、札幌・小樽・旭川など道内主要都市での公演やテレビ出演も多く、昭和61年10月29日には、北海道では最も権威のある「北海道文化財保護功労賞」を受賞しています。
 しかしながら、過疎地域特有の悩みである後継者不足から、近年では小中学生による「くま獅子少年団」」が結成され保存、伝承活動が行われています。

●三毛別羆事件復元現地
1990年(平成2年)に実際の事件現場付近に当時の粗末な開拓小屋、ヒグマのレプリカなどで事件跡地を町民の手で復元しました。
 
1990年当時、苫前町は「三毛別羆事件」を逆手にとって、町おこしを進めていましたが、三渓町内会、町おこし協議会、くま獅子保存会、町などがイメージアップ苫前推進協議会を組織し、開拓の悲話を後世に伝えるとともに、観光スポットとして現地を復元したもので年間4千人以上の観光客・視察者が訪れています。
現地は、山奥の森林に囲まれた薄暗い場所で、今にもヒグマが出現しそうな雰囲気があり、訪れる人々にとって恐怖感やスリルを感じる隠れた人気の観光スポットとなっています。

●熊頭の岩
  
「三毛別熊事件」で知られる本町に、新たな名勝として町内興津の海岸の崖に熊の横顔に見える岩が、平成136月に町民が気付き話題になっています。

●役場前羆(ひぐま)モニュメント
 1988年(昭和63年)に、「三毛別羆事件」を逆手にとった町おこしのシンボルとして役場前の駐車場内に建設されたものです。


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